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Significations et usages de 小ロシア

Définition

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Wikipedia

小ロシア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

小ロシア

     小ロシアの範囲(1347年)。

     小ロシアの範囲(17世紀初頭)。

     小ロシアの範囲(1649年‐1667年)。

     小ロシアの範囲(1667年以降)。

     小ロシアの範囲(19世紀初頭)。

小ロシアあるいは小ルーシギリシャ語Μικρά Ρωσία[1])は、東欧の地名で、ルーシ人本土を指す用語で、ウクライナの旧称の一つである。14世紀ギリシャ正教会[2]の行政概念として登場したものの、17世紀以降にロシア帝国の政治概念に変貌していった。20世紀初頭よりウクライナの蔑称として用いられる。

目次

概要

「小ロシア」(小ルーシ)の用語は、14世紀のギリシャの聖職者によって作り出されたとされる。13世紀半ばにキエフ大公国(ルーシ)がモンゴル帝国に滅ぼされ、その大公国の後継者としてハールィチ・ヴォルィーニ大公国(南西ルーシ)とウラジーミル・スーズダリ大公国(北東ルーシ)が誕生すると、コンスタンディヌーポリ総主教庁に属した従来のキエフ府主教区を分割するための前提が成立した。ギリシャの聖職者は、二つの大公国を区分する必要性があったため、古代ギリシャの「小ヘラス」[3]と「大ヘラス[4]の地域的区分を応用し、南西ルーシを「小ロシア」、北東ルーシを「大ロシア」と呼んだ[5]

1303年、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の君主の依頼に応じて、コンスタンディヌーポリ総主教庁はキエフ府主教区を分割し、北東ルーシの地域で大ロシア府主教区、南西ルーシの地域で小ロシア府主教区を創立した。[6]

「小ロシア」は教会用語であったため、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国のリューリク朝の諸大公による世俗の外交文章では用いられることがなかったが、リューリク朝が絶えてピャスト朝に変わると、1335年にユーリイ2世によって初めて「全小ルーシの公」という称号の形で、用いられるようになった[7]。しかし、1340年代ハールィチ・ヴォルィーニ大公国ポーランド王国リトアニア大公国の間に分割されると、小ロシア府主教区も廃止され、14世紀半ば以降、「小ロシア」の用語自体は世俗界と教会界からも姿を消した。

17世紀初めに、「小ロシア」という概念は正教会のルーシ系聖職者の活動によってよみがえった。1458年モスクワの正教会の独立に伴い、コンスタンディヌーポリ総主教庁は新たなキエフ府主教区を創立し、ポーランド・リトアニア共和国正教徒のルーシ人が居住する地域[8]の統制を任せた。このキエフ府主教区は1596年ブレスト合同ルーシ帰一教会の創立によって一時的に解消されたが、1620年に復活した。この府主教区復活運動に正教会の聖職者は大きな役割を果たし、正教徒の在住地域を「小ロシア」と呼び始め、ポーランド・リトアニア共和国における正教会の団結力と正教徒の自意識の強化を図った。

1648年にポーランド・リトアニア共和国におけるフメリヌィーツィクィイの乱が勃発し、事実上でウクライナ・コサックヘーチマン国家が誕生すると、その国家の外交に携わったルーシ系聖職者はヘーチマン国家を「小ロシア」と呼び、「小ロシア」を国号の同義語としてモスクワ大公国との外交文書で使用した[9]。聖職者が「小ロシア」を流行らせた結果、1654年にペレヤスラウ条約によりヘーチマン国家がモスクワ大公国の保護国になった後、モスクワのツァーリは自らの称号を「ツァーリならびに大公、全大・小・白ロシアの主」と改め[10]、ヘーチマン国家との外交関係を司る小ロシア省[11]が設置された。その頃より、ウクライナ・コサックの国家の住民は「小ロシア人」、彼らの言語は「小ロシア語」と呼ばれるようになった[12]

1667年にヘーチマン国家はドニプロ川を境にしてモスクワとポーランドの間に分割され、「小ロシア」という地名の範囲はモスクワの支配下に置かれたヘーチマン国家の左岸、左岸ウクライナまで縮小した。1722年に当地でのコサックのヘーチマン政府は廃止され、1734年までにロシア政府の小ロシア委員会はコサックの統制を行った。その後ヘーチマン政府は一時期に回復されたものの、1764年に最終的に廃止されることとなった。このことによりヘーチマン国家は亡ぼされ、その代わりに小ロシア統監府が置かれ、左岸ウクライナの統治を行った。1781年エカチェリーナ2世の命令によりウクライナ・コサックの連隊制が廃止され、コサック身分が抹消され、コサックの領内で3つの代官地が設置された。それらの代官地は1796年に小ロシア県として統一されたが、1802年にチェルニーヒウ県とポルタヴァ県に分割された。

18世紀末にポーランド分割によりロシア帝国の領土が西方へ拡大し、「小ロシア」の範囲はウクライナ人が居住する右岸ウクライナヴォルィーニまで延長された。また19世紀初頭から「小ロシア」にスロボダ・ウクライナの地域も含まれるようになった。こうして、19世紀初頭以降「小ロシア」はウクライナの西部・北部・東部・中部を指す地名となり、政治・経済・学術・文化の様々な分野で広く用いるようになった。「小ロシア」の他に「南ロシア」と「南西ロシア」という言葉も、ウクライナ人の在住地域を示す用語も存在した。しかし、19世紀後半より、ウクライナの知識人・啓蒙家はウクライナ民族運動を起こし、「小ロシア」のかわりに民間に親しまれていた「ウクライナ」という用語を頻繁に使用しはじめた。その理由は「小ロシア」の意味の変化にあったと考えられる。本来の「小ロシア」は「ルーシの本土」を意味していたが、18世紀末以降ロシア帝国の辺境地としてウクライナの地方性を強調する「小さなロシア」という意味に変わった。20世紀初頭に「小ロシア」はウクライナの知識人によって蔑称として認識されるようになり、マスコミ・文学・学問・政治などにおいて「ウクライナ」に改変された。

20世紀に存在したウクライナ人民共和国ならびにウクライナ・ソビエト社会主義共和国において「小ロシア」は否定的な意味を持つ用語として公式な使用から削除された。現在のウクライナでも「小ロシア」は否定語の色合いを維持している。しかし、ロシア連邦の政府関係者、右派的マスコミと研究では現在のウクライナに対し「小ロシア」の用語は用いられることがある。

小ロシア主義

「小ロシア」の地名に由来し、ウクライナ人の間に見られるロシアに対する劣等感、「小ロシア主義」(ウクライナ語Малоросійство)という社会的・心理的現象が存在する。その現象の原因は、ウクライナが長い間にロシアに支配されて、政治・社会・学問・文化などの多面において抑圧されてきたことにあると考えられる。小ロシア主義の信奉者は、ウクライナ人でありながら、ウクライナの政治・社会・文化・伝統に対し偏見あるいは敵意を抱いて発展の必要性を否定しており、ロシアの社会を崇めてロシアの文化を優先し、ウクライナをロシアの政治文化圏の不可欠な国あるいは地方として位置づけている人である。19世紀のウクライナ知識人ムィハーイロ・ドラホマーノウは、小ロシア主義者はロシアの文化的影響によってウクライナの国民性が屈折されてロシア化したウクライナ人であると定義している。また、20世紀前半のウクライナ政治論者ヴヤチェスラーウ・ルィプィーンシクィイは、小ロシア主義が「無国の民の病」・「奴隷の心理」であると述べている[13]

小ロシア主義の反対語としてマゼッパ主義という用語が用いられることがある[14]

小ロシア主義の信奉者には、コサックの為政者イヴァン・イースクラとヴァスィーリ・コチュベーイ、作家ニコライ・ゴーゴリ[15]、政治家パウロー・スコロパードシクィイ[16]、学者ウラジミール・ベルナドスキー、技術者のセルゲイ・コロリョフなどが数えられる。

関連記事

脚注

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  1. ^ ウクライナ語Мала РусьМала РосіяМалоросія / ロシア語Малая РусьМалая РоссияМалороссия
  2. ^ 独立正教会としてのギリシャ正教会の成立は19世紀の事であるが、ここでいう「ギリシャ正教会」とは「ギリシャ人が主体となっていた東ローマ帝国治下の正教会」といった意味であり、こうした広義の語義も「ギリシャ正教会」には含まれる。
  3. ^ ギリシャ語:Μικρά Ελλάςギリシャ人の本土。
  4. ^ ギリシャ語:Μεγάλη Ελλάς、イタリア南部にあったギリシャ人の植民地。
  5. ^ 当時のギリシャの語で「ルーシ」は「ロシア」となっており、キエフ大公国が支配した領土を指す用語であった。モスクワ大公国に起源を持つ現在のロシアは「モスコヴィア」(Μοσχοβία)と呼ばれた。
  6. ^ 小ロシア府主教区には、ハールィチ府主教区ともよばれ、ハールィチ主教区、ペレームィシェリ主教区、ヴォロディームィル主教区、ホールム主教区、ルーツィク主教区ならびにトゥーリウ主教区という6つの主教区を含んでいた。小ロシア府主教座はハールィチに置かれた。それに対して大ロシア府主教区は、もとのキエフ府主教区を受け継ぎ、キエフ主教区、チェルニーヒウ主教区とペレヤースラウ主教区からなるルーシの本土の主教区と、ノヴホロドと北東ルーシの諸主教区を司った。キエフを中心としたルーシの本土は大ロシア府主教区の支配下にあったが、府主教座はルーシの辺境地のウラジーミルに置かれ、1325年にさらにモスクワへ移された。1340年にハールィチ・ヴォルィーニ大公国の君主朝が滅亡すると、1347年に小ロシア府主教区は廃止され、大ロシア・小ロシアの府主教区は前者のもとでキエフ府主教区として再創されたが、「大ロシア」・「小ロシア」の行政区分は1350年代まで保存された。14世紀半ばにルーシの本土がリトアニア大公国の領土になると、コンスタンディヌーポリ総主教庁に属するリトアニア府主教区の府主教は自ら「キエフ府主教」と名乗るようになり、リトアニア大公国とモスクワ大公国の間の政治的・宗教的争いが激化していった。また、1444年にモスクワ大公国はキエフ府主教の選任をめぐってコンスタンディヌーポリ総主教庁と対立し、1453年に教会の法律を無視してキエフ府主教区をモスクワの独立教会にすると、コンスタンディヌーポリ総主教庁はモスクワの府主教からキエフ府主教の権利を奪い、1458年にリトアニア府主教区を廃止してリトアニア大公国のもとにキエフ府主教区の再編成をおこなった。1461年以降、モスクワに座を持つ旧キエフ府主教は「モスクワならびに全ルーシの府主教」と名乗るようになり、キエフに座を持つの新キエフ府主教は「キエフならびに全ルーシの府主教」と名乗るようになった。
  7. ^ ユーリイ2世はカトリック教から正教へ改宗したマゾヴィアの公であったので、正教との繋がりを強調するために敢えて正教会用語を称号に使用した。
  8. ^ キエフ地方・チェルニーヒウ地方・ヴォルィーニ地方・ハルィチナー地方・ポリーシャ地方・ミンスク地方・ポロツク地方・ブリャンスク地方・スモレンスク地方。
  9. ^ ヘーチマン国家の正式な国号は「ザポロージャ・コサック軍」であったが、国家の世俗の住民は自国を「ルーシ」、「ウクライナ」、「ヴクライナ」と呼んだ。そのような国号はウクライナ・コサックの軍歌、ウクライナ人の民謡に見られるが、「小ロシア」のような国号は行政書類・外交文書以外には見られない。「小ロシア」はもっぱら官庁用語であったと考えられる。小ロシア(ウクライナ百科辞典)
  10. ^ ヨーロッパ主君の称号一覧
  11. ^ ロシア語:Приказ Малыя Россия1654年あるいは1663年に設置されたモスクワ大公国の行政機関の一つ。外務省に値する使節団省に属し、ウクライナ・コサックと外交管理およびウクライナの都市の行政監視を司った。1722年に廃止された。
  12. ^ 1ヘーチマン国家の住民は「ルーシ人」あるいは「コサック」と自称したが、18世紀半ば以降、ロシアの影響でヘーチマン国家の管理人、聖職者と知識人は自民を「小ロシア人」と呼ぶようになった。しかし、「小ロシア人」という民族名は文語用語であったらしく、当時のウクライナの民謡や民間伝承には出てこない。
  13. ^ Довідник з історії України. За ред. І. Підкови та Р. Шуста. — Київ: Генеза, 1993.
  14. ^ Маланюк Є. Малоросійство. - 1959.
  15. ^ Червак Б. Гоголь як дзеркало малоросійства // Українська првада. 01.04.2009ю
  16. ^ Масенко Л. "Феномен малоросійства: Павло Скоропадський" (з книги "Мова і політика"), 2000.

参考文献

  • (日本語) 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
  • (ウクライナ語) Грушевський, М. Історія України-Руси. тт. VIII, IX, ч. 1 -- 2. К. 1907 -- 1931.
  • (ウクライナ語) Огієнко І. Історія української літературної мови / Упоряд., авт. іст.-біогр. нарису та приміт. М. С. Тимошик. — К.: Наша культура і наука, 2001.
  • (ウクライナ語) Огієнко І. Українська церква: Нариси з історії Української Православної Церкви: У 2 т.: Т. l-2. — К.: Україна, 1993.
  • (ウクライナ語) Півторак Г. Міфи й правда про трьох братів зі спільної колиски (про походження українців, росіян та білорусів). — К., 1998. .

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