鍵盤楽器
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鍵盤楽器(けんばんがっき)は、操作媒体である鍵(けん)を盤状に配置したいわゆる鍵盤を、通常はヒトが身体的に操作することによって演奏する楽器の総称である。現代において一般的なものは、西洋音楽の伝統の中で定着してきた様式のものを指し示すが、その代表的な鍵盤楽器はパイプ・オルガン、チェンバロ、ピアノである。1980年代以降はシンセサイザーなど電子楽器としての鍵盤楽器も一般的になっている。
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分類法
発音方式による分類、アナログ・電子の違いによる分類、また鍵盤の形状による分類、楽器の機能・形状による分類などが可能である。
鍵や鍵盤の目的と発生
一つの楽器、もしくは一人の奏者によって、単音しか出せないのではなく、それを超えた表現を求めようという欲求の中で自然発生的に鍵盤はあちこちで発明された。その主要な目的は2つあり、ひとつには、音を発生させるきっかけとしての運動やエネルギーを人為的に楽器の発音構造へ間接的に与えるためであり、ふたつには、音高のそれぞれ異なった複数の選択肢から指定した音のみを選び出して意図的に発生させるためである。付加的に進化した目的として、例えばピアノにおいて顕著なように、必要な音強や音色を指定して表現するためとしても重要な目的を果たす。
そもそも鍵盤そのものは、複数の音を同時に出せるよう発音機構を複数併設した楽器に必要として発生したものであり、一意の目的を持たせた鍵を規則的に装備させることによって、鍵の選択の連続で音の連続を生み出し、時間軸上にある音高の変化の羅列である音楽の演奏を成し遂げるための集合媒体である。しかし、歴史的な楽器の進化の中でその目的は広がっていったため、その目的が一義に規定できないような楽器も様々に含まれる。
西洋音楽の歴史における鍵盤の形状と配列の変遷
鍵盤がほぼ現在の形となって楽器に用いられるようになったのは、15世紀頃のパイプ・オルガンが最初と言われている。鍵盤楽器と言えるもので最も原始的な形は、紀元前265年に発明されたヒュドラウリス(水オルガン)で、これに用いられた操作部で送風口を動かしてパイプと連結させた。しかしその操作媒体は、現在で言うレバーに近いものの集合体であった。その他、拳で叩くことによって演奏する形態のものなど、多くの製作者によって試行錯誤が繰り返された。
より複雑な楽句や音楽を演奏するためには、鍵盤の形状・配列の工夫や小型化が必要であり、また、ヒトによる操作方法の効率化と共に、発音機構の労力の軽量化が求められた。そうして、手や拳などによる一動作によって一音を奏するよりも、指一本ずつによって奏する様式へと進化していった。ヒュドラウリス(水オルガン)はその後パイプ・オルガンとして発展し、11世紀にテオフィルスが書いたオルガンの機構図に、並べた平板をそれぞれ前後させて操作する様子が見られる。12世紀頃に書かれたハーディング聖書の挿絵には、上下に作動させるスライダーが描かれている。
楽器の操作面への改良と並行して、鍵盤の配列や形状についても創意工夫が重ねられ、当時の音楽理論や音科学に則した様式へと整えられていった。それはすなわち、教会旋法や、1オクターヴを12半音に分割する理論に即した鍵盤である。教会旋法は、12半音で構成される1オクターヴを、連続する3全音と4全音、そしてその二箇所の間に挟まれる2半音という音配列によって構成されており、その幹音群の間の全半音を、奥まった少々上部に位置する鍵盤によって埋めるという、現代へと続く鍵盤の様式が確立されていった。歴史的資料においては、フランドル派の奏楽図からは、オルガンが普及してきた中世の頃には、横に並べられたボタン状のキーを押し下げて発音させる楽器になっていったことを見てとることができる。15世紀にファン・アイクが描いた「ゲントの聖バヴォンの祭壇画」の奏楽図ではほぼ現在の形の鍵盤を見ることが出来る。
演奏媒体は更に進化を続けた。パイプ・オルガンにおいては、鉛製のパイプがそれ以上大きく製作すると自重で壊れてしまう限界までの巨大なパイプによる超低音や、それ以上小さくするとミリを下回る非現実的な加工が必要となり音程を作るのが困難なほどの極小のパイプによる超高音まで、あらゆる音域の可能性の限界に挑戦した楽器であるが故に、それらの広音域を使った演奏においても人間の操作性の限界を追求され、手の動作だけではとても足りず、足による操作や演奏が要求されてきた。その中で、低音部の発音には足で踏むキノコ式ボタンや棒状の配列などによる様々な形状の演奏媒体が進化し、最終的には手鍵盤と類似した棒が並んだ形状の大きな足鍵盤が設置されるようになった。
パイプ・オルガンの演奏台はコンソールと呼ばれ、鍵盤よりも広義の目的を有する演奏媒体である。コックピットと比べられることの多いコンソールは、手鍵盤と足鍵盤以外に百を超える操作部が密集して設置されているため、身体を移動させることなく座った位置のままで操作できるよう、奏者を中心とした同心球状にそれらが設計されており、複数段ある手鍵盤は、多いものでは上部へいくほど傾斜がつけられ、また足鍵盤は凹型・扇型(放射状)と改良され、演奏媒体の最終型としてのひとつの究極を成している。その一つの例として、世界一の規模を誇るアトランティック・シティー・コンヴェンション・ホール(アメリカ)におけるオルガンのコンソールが参考になる。ここで重要な点として、鍵盤というものが意味するものは、その操作によって指定の音を出すための操作部のことであり、操作によって音の出ない操作部については鍵盤と呼ばない。
鍵盤は、楽譜上で変化記号の必要としない音、すなわち幹音が手前に順に並列され、その間にあるべき半音は少々奥まった位置に、尚且つ幾分か高く配置されている。その二者を区別すべく、旧来より材質によって色を変えた鍵盤が一般的であり、白木と黒檀、もしくは大型動物の骨や象牙と黒檀などによって視覚的な区別を成している。
現代においては、幹音の鍵盤を「白鍵」と呼び、その間の半音の鍵盤を「黒鍵」と呼ぶのが一般的であるが、パイプ・オルガンやチェンバロなどにおいて現代でも見ることができるように、18世紀までの鍵盤楽器は現代において一般的な配色とは逆であり、幹音が黒鍵であった。それ故に、「白鍵」・「黒鍵」という呼称は、音楽の上では場合によって誤解を伴う用語であるため、厳密な意味を求めようとする際には避けられる。19世紀以降に白鍵による幹音が主流になった理由として、黒鍵による幹音が主要な配列であると当時の住環境においては暗くて見辛く、演奏しにくいという問題点を解消するための目的や、物資の流通が盛んになり、高級素材であった象牙が比較的入手し易くなったなどの理由が論じられている。また、ロマン派に入ってからのピアニズムにとっては、鍵盤が滑ることは演奏の可能性を低める要因となり、その中で、磨きのかかった象牙鍵盤は指の腹面に吸着し、また汗を吸収もしてくれるため、難曲ほど象牙鍵盤は欠かせない素材となった。現代においても、ピアノにおいては象牙鍵盤がピアニストにとっての必需品として重宝されており、コンサート用ピアノやピアニストの自宅のピアノでは象牙が一般的であり、象牙不足の現状に則して、各ピアノ・メーカーは象牙の機能を模倣した新合成素材を一般的なピアノの白鍵に採用したりしている。
鍵盤の身体的操作
手鍵盤
現在の形と同様の手鍵盤となるまで、手の指で演奏することを対象に鍵盤は進化してきたが、両手の親指はそもそも、基本的に使用しない臨時の役目であった。なぜならば、物理的に脇に付いている親指は、他の指と同等に鍵盤に接することはできず、幾分か太くて短く、動かし辛いという点から嫌われたのであった。しかしながら、古典派の時代には徐々に親指が一般的に使用されることとなり、ロマン派においては、親指を酷使しないと奏することのできない複雑な音型が頻出するピアニズムへと奏法も進化を遂げた。そのため、ピアノの鍵盤は特に、黒鍵の入り込んでいない手前の寸法が長くとられており、親指を奏しやすい形状が国際標準と規定されている。これは、パイプ・オルガンやチェンバロなどの手鍵盤と幾分か形態の異なる、ピアノにおける鍵盤の大きな特徴である。
手の親指を頻繁に使う奏法がピアノに定着してからは、手を丸め気味に鍵盤に配置し、他の指との長さの相違による影響を少なくしたり、親指が手の中を頻繁に潜り抜けられるような様式が標準的となり、これは、パイプ・オルガンやチェンバロ、フォルテ・ピアノの奏法とは異なる。後者は、手をそれほど丸めることはなく、そして、親指を常に鍵盤の上に置くことはせず、また手首は下がらず高い位置にある。前者は、手を丸め、親指を一般的には鍵盤の上に恒常的に待機させておき、そして手首は低く保たれる。
足鍵盤
当初、足鍵盤の演奏には、両足の爪先による2点のみが使用され、J.S.バッハの時代には、ごく稀な場合を除き、まだ爪先だけによる演奏であったとされる。しかし、彼の息子の時代には、両足の爪先とかかとの計4点による演奏が広がり、これによって足鍵盤への要求度も高くなり、レガート奏法や重音奏法、困難な楽句の登場など、奏法の面でも更に進化を遂げた。
手鍵盤の歴史的定着とその音域
パイプ・オルガンの手鍵盤が現代のものと同様な形状にほぼ定着した頃には、弦を利用したクラヴィコードやチェンバロといった鍵盤楽器も一般的になっている。この頃までの鍵盤楽器の音域は、建造物の設備でもあるパイプ・オルガンを除き、一般的にはせいぜい3オクターヴほどであった。これは、合唱などで一般的に許容される範囲の一般的な人間の声域の最低音域から最高音域に該当し、それ以上のものは要求されてなかったからとも一説には言われている。16世紀頃になると少しずつ音域が広がり、4オクターブほどのものが一般的になってくる。17世紀に入るとオーケストラの発展もあり、そしてベートーヴェンがその先進的な創作の中で強く音域の拡張をピアノ製作者に要求してきたことは有名であり、ロマン派の中期にはピアノが88鍵、すなわち7オクターヴ半が標準的となった。その後、ピアノは88鍵という規模が定着したが、ブゾーニの要求に応じてベーゼンドルファーが低音を更に拡張したピアノを製作するようになり、共鳴を増幅する意味も含めて、現在でも92鍵や97鍵の機種も製作している。また、鍵盤付グロッケンシュピールやチェレスタは高音域に特化した楽器であるが故に、現代の一般的な規格では、ピアノの最高音C8より上のF8までが演奏できる。
手鍵盤による表現
パイプ・オルガンやチェンバロの場合以上に、ピアノにおいては、打鍵する際の操作に表現の多くを求められる。そこには、音の強弱の幅の大きさや、様々な音色を動作によって決定づける必要性がある。ほんの10mmほどの打鍵高によって、一瞬でそれを決定づける必要があり、それらを、多い場合には1秒あたり30前後の動作を決めることさえあることから、ピアノは最も演奏困難な楽器とも表現されてきている。
クラヴィコードにおいては、打鍵後の鍵盤動作によってヴィブラートを表現することができるが、20世紀になって発明されたオンド・マルトノにおいても、鍵盤動作によるヴィブラートが可能である他、リボンによるポルタメントの演奏など、新しい鍵盤楽器としての機能が拡大された。
その他の鍵盤
その昔、パイプ・オルガンだけでなくチェンバロやピアノにおいても足鍵盤が作られたものもあった。そのための作品も残されており、モーツァルトやシューマンなどが作品の演奏に使用したことが残されている。
その他、西洋音楽における鍵盤以外の配列による鍵盤も存在し、現代においては新しい鍵盤楽器としてのシンセサイザーであるホール・トーンも登場している。日本における大正琴も鍵盤楽器の一種であるが、これは西洋音楽の鍵盤に倣っている。
鍵盤楽器の一覧
「楽器分類学」も参照
弦鳴楽器
鍵盤の動作により弦を振動させた響きを増幅させる楽器。または鍵盤の動作により弦の振動を抑制させてミュートしている楽器。このうち、電気楽器は電気的に音を増幅するもの。
- アコースティック楽器
- 電気楽器
気鳴楽器
体鳴楽器
電子楽器
電子的に発音され、鍵盤は発音のためのスイッチとして機能する。そのため、鍵盤部は発音部とケーブルなどで電気的に接続されていればよく、物理的に一体化している必要はない。
関連項目
参考外部リンク
- ホール・トーンによる新鍵盤の説明
- ホール・トーンによる演奏映像を公開している奏者サイト
- 世界一の鍵盤楽器と言われるアトランティック・シティー・コンヴェンション・ホール(アメリカ)におけるオルガンのコンソール:同心球状に設計されている
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