霊感
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霊感(れいかん)とは、聖職者や預言者、僧などの宗教家が修行や悟りの結果として得られた神仏からの啓示、または人の祈りに対する神仏からの反応のことを指しており、本来は死者の霊(幽霊)や「守護霊」などの怪しげな「霊」と交信できたり、「前世」や「来世」が見えるといった「霊能力」のことではない。また、これから転じて、インスピレーションinspiration のことを指し、芸術家や哲学者、科学者などが得た「ひらめき」のことを言うようになった。
しかし、世間一般では霊ブームなどで、「霊能力」の意味にも用いられるようになり、霊が見えたり、話せたりする能力のことを指して用いる場合が多い。一般的に「霊感」とされる見えたり話せる(またはそのような幻覚を見る)能力は遺伝などで強い人と、訓練して力がついた人がいるとされる。
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聖書の霊感(Inspiration)
啓示(Reveration)、霊感(Inspiration)、正典(Canon カノン)の三語は、互いに関連したキリスト教用語である。
- 啓示
- 人が理性的な追求によっては知り得ない神に関する真理、永遠に関する真理、救いに関する真理などを、神はその預言者や使徒を通して、人に語られた[1]神の行為、また、その結果を指す。真理の「内容」に関わっている。「啓示」における「啓」とは「開く」の意である。
- 霊感
- 神によって開明され、示された真理を「記述」するに当たって、記者に対して与えられた聖霊の干渉のことである。人は過ちを犯す者であるが、そのような人間が、神の真理を書き記し、伝達するにあたって、神は、霊感を記者に与え、彼らが正確、また十分に啓示内容を書き記すことができるようにした[2]。これが聖霊による霊感の働きである。『テモテへの第二の手紙』3章16節によれば、
- 「(聖書は)すべて、」(“πασα”)とあるように、霊感は、聖書全巻に及んでいる。
- 「神の霊感によるもので、、、」(“θεοπνυστος”)とは、ギリシャ語では、神によって「息吹きだされた」との意味で、人間的な著作に神が霊感を加えたというよりも、聖書自体、すなわち、その真理内容が、神によって与えられたことを主張するものである。
- 正典
- そのようにして神の「霊感」を受けたと判断された書の収集をさす。「霊感」という物指し(カノン)によって測られ、その基準に合ったので、キリスト者の「信仰と実践との唯一の規範(物指し)」とされたことを意味する。
聖書は、このように「啓示」の書、「霊感」の書、そして、「正典」的な書であるので、初代教会以来、特に、宗教改革以後、プロテスタント諸教会では、キリスト教信仰と実践の唯一の規範、すなわち「神のことば」として権威あるものと受け留めてきた。このような聖書観に立つ教会・教派、また、クリスチャンを「福音主義」と言い、20世紀初頭、これと異なる聖書観をもって、聖書に批判的な神学、聖書学の展開を見せたのが「自由主義」陣営である。後者は、啓示、霊感と言った超自然的な概念は一切否定して受け入れない立場である。
科学者の霊感
科学の発展は、地道な研究と実験の繰り返しによると言われているが、「コロンブスの卵」のようなひらめきが、科学史をしばしば塗り替えてきた。科学者の霊感として一番有名なのは、アイザック・ニュートンがりんごの実が落ちるのを見て、万有引力を発見したというエピソードだろう。ただ、このエピソード自体後付けで尾ひれが付いたものと一般的には認知されているため、例示にはなり得ないことが問題点である。
インスパイア
文学では、ある作品からひらめき(霊感)を受けて、創作すると言うことがしばしばある。英語のinspireで、「(人を)〜する気にさせる」と言う意味である。純文学では、太宰治の影響が一番大きいと言われているが、推理小説などでは、外国作品によるインスパイアが多い。中上健次の一連の作品は、北條民雄にインスパイアされて書かれたと言われている。
「霊感」の付く作品
- 調和の霊感 L'estro Armonico - ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集。作品3. 12のコンチェルトからなる。